大切なのは理論?それとも感覚?

トレーニング

トレーニングや練習において、
理論を大切にして取り組むのか。
感覚を大切にして取り組むのか。

とある選手は、こう言いました。「理論ばかり追いかけると底なし沼にハマってしまう。アスリートが大切にすべきは感覚だよ」

トレーナーとして活動し始めたばかりの頃、このような言葉を聞くたびに
選手の感覚を最優先して、トレーニング構築をしていくべきだと考えてしまっていた時期もありました。

しかし、現在(2019年6月17日)は
「可能な限り、エビデンスや裏付けに基づくべき」という考えを優先するようにしています。

なぜエビデンスやセオリーを大切にするのか。
理由は、
「取り組むトレーニングに対して自信を持って継続していくモチベーションを保つため。」

トレーニング指導する側の人が「おれの感覚的に良いから、お前もこのトレーニングをやろうぜ」なんて言ってたらどうだろうか。少なくとも私はその人のトレーニング指導を信用できない。

良質なトレーニングを進めていくためには何よりもまず、目的を明確にしてから手段を選択していくという手順を踏みます。
目的がダイエット・競技力向上・リハビリなどというように、目指すところが異なればトレーニング内容も異なるはずです。

目的の設定が済んだら次の手順は、目的に沿った手段を選択していきます。
ここで「可能な限り、エビデンスや裏付けに基づくべき」という考えの登場です。
この段階で選手の「感覚」を最優先にすることはありません。

では、コチラが指導するトレーニングを「感覚的にやりたくない」という選手が目の前にいた場合、どのように対応するのか。
当然だが、なぜこのトレーニングをするのかという説明をする。
それでも納得して取り組んでもらえない場合は、ケガをしない程度の無理であれば見守りつつ、今後も関係を継続しなくてはならない場合は説明を続けます。

※向かってきてくれる限りは、伝えることを諦めないスタンスでいますが、やはり、自分の考えや思いを乗せた行動のほうが気分はイイわけですからね…。そこは理屈じゃない精神論というカテゴリという認識です。


私の基本的な指導スタンスを述べましたが、
上記のような方針とは異なる手順を踏むかもしれない場合が一つ考えられます。
それは目的が競技力向上において、天才(と感じられる人)が現れたときです。

前人未到の記録やパフォーマンスに挑戦するという過程は、圧倒的に経験値や裏付けが不足しています。
そのようなトップレベルでは、奇抜なトレーニングが必要になってくるときもあるかもしれません。
しかし、人間である限り身体は同じです。腕2本で脚2本。
基礎的な体力要素を向上させるためのトレーニングは、なによりも効率よく高めていくために必要であると考えています。

指導者である私としては、凡才が論理的に努力をして成長していくという過程にやりがいを感じております。
少年漫画のような、ひ弱で身分も低い主人公が成り上がっていく。そんな物語。

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