スポーツ指導者が【量質転化】について考えてみる。

エッセイ

スポーツ指導者のあいだでも、話題として尽きない「量と質」の問題があります。

たくさん練習することはムダだ!量を減らして質の高い練習をするべき!

量は不要。
質が必要。

昨今、このような論調が多く見られるように感じています。
根性論が旺盛していた時代からの揺り戻し的な流れなのでしょうか。
それとも本質的なコトなのでしょうか。

今回の記事では【量質転化】という言葉をスポーツ現場に当てはめて考えてみたいと思います。

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量質転化について

聞いたこと見たことがある人も多いかと思われます。
私は、唯物弁証法というものを調べている中で知った言葉です。

意味としては
量の変化が質の変化をうながし、
質の変化が量の変化をうながす。

という法則となります。

スポーツ現場では、
この法則についての「誤解」がいくつかあるように私は感じています。
以下に2点挙げてみます。

誤解①

たくさんの量をこなすことで、質が変化するのだ!

決して間違ってはいないのですが、
このような「一方向」だけではありません。質が量へ。量が質へ。
量と質が相互に転化します。というのが【量質転化】となります。

誤解②

たくさんの量をこなすことで、質が向上するのだ!

これも間違ってはいません。ですが、認識しなくてはならない点があります。

例えば、
「薬」で考えてみます。
医薬品には、薬用量というものがあります。
薬の効果を期待して用いる量のことを言います。
それよりも過剰に用いれば「中毒量」や「致死量」へと質的に変化していきます。
また、薬用量を下回れば「無効量」となります。

この「薬」の話を
スポーツの練習に置き換えて考えてみるとどうでしょうか。

薬と運動という異なる2つですので、
そのまま当てはまらない点もあるかと思いますが、

スポーツの現場では、
とにかく量をこなせば、何か良いことが起こるのだ!
このような考えを選手の皆さんに強要している指導者が少なくないように感じます。

また逆に、
質(強度)の高い運動をすれば、それでパフォーマンスは上がるのだ!
というように考える人もいます。

どちらも正しいのでしょうが、
どのレベルの競技者なのか
どの年齢層なのか
といった前提条件が異なれば、結果も異なってくるでしょう。

次の項では、もう少し踏み込んで【量質転化】について考えてみます。


「量」「質」とは何か?

スポーツ現場において、量と質というのは一体何を指すのでしょうか?
明確な定義というはあるのでしょうか?知っている人がいましたら教えて下さい。
ここでは、考えられることについて羅列してみたいと思います。

①運動の「量」と「質」

ある運動を繰り返した数のことを「量」とします。
水泳や陸上などでは、距離とも考えられるでしょう。

多くの運動では、強度のことを「質」と表現します。
チカラ発揮の大きさ・発揮した速度・動かした重さなどが考えられます。

運動の【量質転化】例

量から考える

例えば、
水泳練習において多くの距離(量)を泳ぐことで
好気性エネルギー回路が活発に利用され
ミトコンドリアが増加したり・酸素運搬能力が高まるという体内の質的な変化が起こることが分かっています。
また、量的に反復することで
動作の記憶強化にも役立ちます。これは脳神経系の質的な変化とも言えるでしょう。
獲得したい技術を繰り返すことによって体得するようになります。

一方で、量をこなすことによって
筋疲労からケガや慢性痛といった身体の質的な変化もありえます。

質から考える

強度の高い運動によって、
モーターユニット動員数が増え、筋力が向上したり・筋肉の収縮速度が高まったりするという神経筋系の量的な変化が起こることが分かっています。

また、ある範囲においては
「質」を高めることによって
時間という「量」を減らしても十分な効果が得られることが分かってきています。


②集団の「量」と「質」

集団においての「量」とは人数とし、
「質」とは発揮される成果・専門性のようなものを指すとします。

集団の【量質転化】例

量から考える

例えば、
スポーツチームでは量(人数)が増えることによって
チーム内での競争が活発となり、結果的により高い競技成績を発揮できるという質的(希少性)な変化も多く見られます。

一方で、
チーム内の人数が多くなることによって
環境内の限界にぶつかり、運動の質が低下するという可能性も考えられます。

質から考える

質(専門性)的に高い集団であれば、
競技の種目にもよりますが、注目されるような結果を出し
その活動が多くの人の目に止まる可能性は高いです。それにより集団への参加率は高まることもあるでしょう。


③指導者の「量」と「質」

ここでは、「量」を指導者の人数。
「質」を指導者の知識や経験値として考えてみます。

指導者の【量質転化】例

量から考える

指導者の人数が多ければ、その中で専門的な議論がなされ
トレーニングの方法論など多くの経験則が蓄積していくでしょう。それを次世代へと持ち越していけば指導者の質的な変化へ良い影響を与えられるかと思います。

1人の選手に対して、
指導者の立場をとる人間が複数いれば、様々な方向から指導が飛び交います。
その選手とっては、その情報量に溺れてしまい運動パフォーマンスが低下してしまうことも考えられます。

質から考える

指導者の「大人数への指導力」というものが高い場合、
より多くの生徒が救われて、その指導者めがけて集まる人数も増えるかもしれません。

また、多くのスポーツ現場で人手不足が叫ばれています。
指導者による指導者育成は、これから必要になってくるでしょう。
今現在、指導者が足りていない現場というのは
指導者という立場に対する魅力という質的な面が影響しているのかもしれません。


まとめ

上記で、スポーツ現場に当てはめた【量質転化】の例を挙げてみました。
そのことから分かることは、
量の中にも質が存在しており
質の中にも量が存在しているということです。

スポーツ科学という知見が、少しづつ浸透し始めてきております。
今までの経験則的なものを裏付けたり
悪しき習慣を科学的な視点から論破してくれたり
この流れはドンドン進んでいくでしょう。良いことです。

こういった科学的な知見というのもツールの一つに過ぎません。
ツールですので、それ自体に良し悪しは無く
良い使い方となることもあれば
結果的に悪い使い方となってしまうこともあるでしょう。

だからこそ、
分かっていること・分からないこと
このような科学の限界範囲にも気を配る必要があると思います。

スポーツ指導者である方々は、
知識を追い求めることと同時に
知識の使い方という「考え方」の部分も深めていくことが大切かと。

まぁでも、日々の業務で忙しくて時間がなかったりしますよね。
なので指導者の方々も分からないことは、聞いてみたり学んでみれば良いと思います。
もちろんそれなりの対価(時間とお金)が必要かと思いますが。

皆でスポーツ現場をより良くしていきたいですね。

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