久しぶりにエッセイです。
年末年始や長期休暇に実施している合宿を通して、いつも感じていたことを書き残しておきます。
テーマは『考える』ということについてです。
合宿などに参加すると、普段は出会わないような人と交流を持つことができます。
新たな刺激や、日常では得られないような学びに触れることもあるでしょう。
しかし、合宿に参加した人が、そういった学びや刺激が「身になっていないのかな」と感じられる場面も多くあります。
なぜ、身になっていないのか?
それは『考える』という作業を通して自分の頭に落とし込んでいないからじゃないかな。と思うようになりました。
目次
考えるためには、考える時間を確保しなくては
『考える』という技術
考えるには、考えるための時間を作らなければいけません。
つまり、『考える』を少し丁寧に言い換えると、
『1人で考えるための時間を作る』ということになります。
孤独になる時間を作る
誰かと一緒に時間を共有していると、深く考えることは出来ません。さらには、誰かの意見に流されたりもします。
SNSなどでも、誰かの考えや意見をただ横流ししているだけで、自分の身にならないようでは、もったいないようにも思えます。
誰かや何かの「考え」に触れたら、『まずは1人で考える』ということを実践してみます。
それを実践した上で、分からなかったり・理解が難しかったりしたら、知ってそうな人に聞くと良いでしょう。
そういったことを繰り返していくと、どんどん自分の頭の器が大きくなっていくのではないかと思います。